うちの文鳥ズ

ソイがお空に旅立ちました 経過とその時の様子

去る2021年3月16日(火) AM8:30頃 シルバー文鳥のソイが旅立ったので、気持ちの整理と記憶のため、ここに記します。

文章の合間にソイの画像を入れています(内容とは直接関係ない昔の写真などもあります)

ソイの最後を忘れないため、今後の子たちに活かすための備忘録ですが、何か参考になることがあれば拾っていただけるとソイも喜びます。

ソイは2019年の12月から1年4ヶ月の間闘病生活を送っており、今回こそもう駄目かも知れないと思ったことが4回ほどあったが、その度に元気になり頑張ってくれていた。

前回のソイの記事を書いた時(2/24)にはかなり腹水が溜まっており↓

この時も利尿剤の注射で持ち直したかに見えたが、1週間もすると元の状態に戻ってしまい、薬の効きが悪くなっているしこれは良くないな…と感じる。

旅立つ一週間前にもう一度注射をしてもらい 直後は腹水が減るが、やはりすぐに戻ってしまい、そのまま日に日に状態が悪くなっていった。

2021/3/15 朝(旅立つ前日)

朝7:00頃起こしに行き、ソイはいつものように水を飲みに行こうとするが足が少し痙攣している?うまく動かずなかなか水入れまで行くことができない(ひとジャンプするだけの距離)

しばらく様子を見てもやはり足は治らず、止まり木から落ちてしまい、羽もバランスを取るために開いたり閉じたりを繰り返していた。

くちばしの色も前日までとは違い、かなり悪く紫がかっている。

ソイ本人はすごく苦しそうとか状態が悪いというより「なぜ動かないんだろう?」「なんでこんなにお腹が重いんだろう」という感じで、何度も足やお腹を見たり突いたりしていた。

きっと足の神経が圧迫されているのだろうと思い、急遽バリアフリー(床生活)のケージを用意すると素直に移り、床置きにした餌入れからしっかり食べて水も飲んだ。

このケージはソイが入り慣れているものなので、すんなり入ってくれて、余計なストレスを感じさせずに済んで良かったと心底ほっとした。

[左からモカ・ラテ・ソイ、2015年ごろ]

その後食べたり寝たりを繰り返していたソイ、最後が近いと感じ取ってはいたが、まだ食べられるならそうした方が良いと思い、午前中は抱っこせずケージの温度を30度近くまで上げて頻繁に声をかけながら見守る。

その間に夫と、病院に連れて行くかどうかを話した。まだ少し余力がありそうだから、最後に腹水を抜くか。

おそらく数時間〜数日命を伸ばすだけだろう、そのためにしんどい中注射をさせに連れていくか?少しでも延命できるなら…とか、最後腹水がなくなって苦しくなく旅立てるなら…と考えたけれど、注射をしていた時のソイの抵抗する姿を思い出し、最後は嫌な思い出ひとつなく旅立たせてあげたいと、連れて行かないことに決めた。

次第に丸まって寝ている時間が増え 食べていないよう、様子を見に行くとケージを噛んで出して欲しいとアピールしているようだったので、14:30頃ソイを抱き上げる。

フワフワで丸くて、いつもより軽かった。呼吸も荒い。カイロを用意して手のひらに乗せ、その上にソイを座らせる。するととても気持ちよさそうにペッタリと寝ていた。

今にも旅立ってしまいそうで、怖くて離せずずっと見つめながら、2時間くらい過ごした。この時はもう夜まで持たないと思っていた。

子供たちだけでもお風呂に入れなければと、準備をするためソイをケージに戻すと、弱々しいが餌を食べ始めた。水も飲んでいる。

これならもう少しだけ持つかも知れない、「食べられるなら食べてね、でももう無理しなくても良いよ」と伝えて急いで子供たちとお風呂に入る。

その後は様子を見ながら、就寝。やはり夜中に様子を見にいってしまった。朝が来るのが怖かった。

2021/3/15 朝(旅立ちの日)

朝7:00前に様子を見に行くと、丸まったまま荒く呼吸をしているソイがいた。

部屋を暖かくしてソイを抱き上げると、とても軽くて昨日よりもくちばしの色が悪く 目も落ち窪んでいて、あぁこれはもう近いなと感じテーブルの上に毛糸の皿巣を置き、みんなが朝ごはんを食べている間もずっと側にいてもらった。

ケージの方が暖かいけれど最後の時だと感じたので、またカイロを温めて、夫と交代でずっと手の中に抱いていた。息子にも抱っこしてもらった。

「ソイちゃんめっちゃフワフワ、かわいい」「落ちてきちゃう」と言いながら、とても愛おしそうに抱っこしていた。

8:00頃、一度バサバサっと羽を開いた後、呼吸が浅くなり口を開いた状態でハアハアと息をするようになる。

「ありがとう」「大好きだよ」「怖くないよ」「また戻ってきてね」たくさんの言葉と、ソイちゃんソイちゃんと呼び続けた。

ここからもまだ踏ん張ってくれて、いよいよ8:30分頃、家族みんなが身支度を終え揃っている時に、虹の橋へと旅立っていった。

最後は少し暴れて 背中を丸めるようにして、目を開いたまま逝ってしまったから、少し苦しかったのかも知れない。「もう大丈夫だよ、よく頑張ったね…もう痛いことも苦しいことも何もないよ」「ありがとう」そんなことを言いながら、ソイの目を閉じた。

すぐにソイの首元に鼻を埋めて匂いを嗅いだ。少し粉っぽくて、少し甘い、ベビーパウダーみたいなソイの香りがまだちゃんとした。

息子にソイがお空に行ったと伝えたら「え?もう行っちゃったの?」「だけどここにいるよ」とソイを撫でる。娘は2歳なのでまだ分かっていないけれど、ソイを撫でさせてもらえて嬉しそうだった。

息子と二人でベランダのビオラの花を摘んできて、ソイの周りに置いてあげた。とても綺麗でお姫様みたいだった。

ずっと闘病生活を送っていたので、とうに覚悟は出来ていたつもりだったけれど、旅立ったソイを見ると全然大丈夫じゃなかった。

でも最後の最後まで頑張り抜いて、たくさん心の準備をする時間をくれて、できるだけの事はしてあげられた思うし、後悔は本当にない。

ソイちゃん、たくさん頑張ったね。偉かったよ。うちに来てくれてありがとう。

もうたくさんたくさんソイに喋って伝えたから、あんまり書くことがないよ。いつまでも大好きだよ。

後日談・火葬の日のこと

[パートナーだったチャイと、闘病生活になるまではいつも一緒にひっついていた]

旅立った日に電話をして、ラテモカと同じ火葬場で次の日に火葬をしてもらった。

本当はもう少し一緒に居たかったけれど、3月になりずいぶん暖かくなってきていたし、ラテモカよりもくちばしの変色や水分の抜け方が激しかったので、次の日に予約を入れた。

火葬前に好きだった食べ物やお花・手紙を周りに置かせてもらって綺麗な状態で送り出した。花が大好きな子供たちが率先して並べていた。

[ラテモカと喧嘩するソイ、2歳くらいまではおてんばだった]

20分ほどで呼ばれ、綺麗に骨を残してもらい、骨壺に収める。子供たちに「ほら、ソイちゃんだよ、綺麗な骨だね」と言うと、息子は「これがソイちゃん??」ととても不思議そうだった(娘はまだ分かっていない)

ソイちゃん一緒におうちに帰ろうね、と言って帰りかけると、息子が火葬車の方に走って行って中を何度も覗いた。

何をしているのか聞くと「ソイちゃんここに居るのかなと思って」「ソイちゃんどこ行ったの?」と。あの骨がソイだったのだと伝えても納得しておらず「ソイちゃんいない…」とずっと言っていた。

そうだね、フワフワだったもんね・・・

でもその後何日も凹んでいたのは私の方で、息子は全然寂しくないよと言っていた。

「だってソイちゃん大好きだったから」「お空にいるし」「ラテちゃんとモカちゃんもいるし」、「生き物にはみんな寿命があるんだよ」とまで4歳児に言われて驚いたが、どうも幼稚園での教えのおかげで死が怖いものだとは思っていないらしい。

(息子はキリスト教の幼稚園に通っていて、聖書の一節や神様の話・命の話などを毎日聞いている)

そんなわけで、ソイがいなくなってダメージの大きかった飼い主ですが、息子が毎日ラテ・モカ・ソイを居るかのように会話に混ぜてくるので、忘れるわけでもなく悲しみのどん底にいるわけでもなく、日常を過ごせています。

ソイちゃん、ラテモカとお空で会えたかな?自由に飛び回って遊んでいるかな?

いつでも待ってるから、みんなで様子を見にきてね。ラテモカ全然顔出してくれないから、引っ張ってきてね…!

ソイを迎えられて幸せだったよ。またいつか会える日まで。。ラテモカと仲良くね!